
いつもありがとうございます。
今年も負けられないレース
『第21回南魚沼市縦断駅伝大会』に
監督兼任選手として参加してきました。
南魚沼市縦断駅伝大会は21年前に
平成の大合併により
塩沢町、六日町、大和町が合併した
記念大会です。
それ以前は旧塩沢町、旧六日町、旧大和町でそれぞれに駅伝大会が行われていました。
湯沢町もかつては
駅伝大会がありました。
参加資格は
南魚沼市、隣の湯沢町在勤在住者や
出身者に限られます。
私は第8回からの
出場です。
参加当初はまだ新潟に
帰っておらず、出身者としての
出場でした。
12年前に南魚沼市で
開業してからも出場しています。
そして、8年前からは
監督兼任選手として
選手を集め、区間配置や
作戦を立てています。
このチームはもともと、
地元出身のレジェンドランナー
(55歳フルマラソン世界記録保持者)が
立ち上げた、競技志向のランナーを揃えたチームです。
学生時代にレジェンドランナーと一緒に新潟県縦断駅伝大会を走ったのは良い思い出です。
ちなみにレジェンドランナーは
今現在は南魚沼市から他地域に
移住して走っています。
人口わずか6万人の南魚沼市で
参加資格が限られると
なかなかメンバーを集めるのに
苦労します。
私がなぜ、この田舎の小さな
駅伝大会に勝ちに行くかというと
レジェンドランナーに良い報告をしたい、それともう一つ理由があります。
第13回大会、私がアンカーでトップで
襷を受けたものの、
ラスト150メートルで逆転負けを喫しました。
その時の悔しさ、メンバーへの
申し訳なさ、が原動力となり
二度と惨めな思いをしたくないために
私自らが監督兼任選手として
活動を始めました。
その間、昔のメンバーから変わったため、オリジナルメンバーでないことを批判する人や、コロナ騒動で3大会中止になるなどいろいろとありました。
第19回、20回と2連覇を
成し遂げ
3連覇のみを目指した今大会。
私自身は
今夏に故障してしまい
焦りを感じてなんとか間に合わせました。
実は一昨年、昨年と
正選手が大会1週間前に怪我をして
急遽メンバーチェンジをして
ヒヤヒヤでした。
今年は春からメンバーを
固定し、密に連絡をとり
安心して前日を迎えたところ
21時にメンバーが夕方に
接触事故に遭ったとの連絡が・・・
朝起きて痛みが出たら欠場するとの連絡。
またしても試練です。
朝起きて連絡したところ
『走れます』とのこと。
とはいえ無理はさせられないので
人事尽くして天命を待つ、の気持ちで出発。
あらかじめ、自分のチームの
設定タイムと他チームの予想タイムを
計算したところ、普通に走れば勝てるメンバーです。
ライバルチーム以外に
走れるランナーを前半に擁するチームがあり
予想意外の展開でした。
全7区間ですが
我がチームは4区区間新記録で首位に。
私はつなぎの6区です。
他チームは私より明らかに
力がある選手を配置しているので
途中追いつかれてから粘る作戦でした。
しかし、追いつかれることなく
冷静に
首位でアンカーへ襷を渡すことができました。



全区間、事前シュミレーションと
ほぼ同タイムでチームは3連覇。



3連覇を成し遂げたことで
通算優勝回数は単独トップ、3連覇も2チーム目となりました。
3連覇ともなると
周りの方々からの見方も変わりました。
今までも優勝したり
必ず上位にいましたが
全くノーマークだった
地元ラジオ局から取材を受けたり、
当院の患者さまからも
たくさんお声がけいただきました。
もちろん、市民ランナーでも
速く走れる方は市内でも
多くいらっしゃいます。
ですが、優勝できるランナーを
集めてチームを作り
徹底して勝ちにこだわり
勝つチームを作れる人は少ないです。
こんな考えに同調して
走ってくれるメンバーに感謝です。
日程が大幅に変わり
翌日の業団のボランティア責任者として
慰労会もできずに、表彰式終わりですぐに
新潟シティマラソンの準備に行きました。
来年のことは分かりませんが
簡単に越される成績ではない
小さな駅伝大会の歴史に名を残せて
良かったと思います。
